同じ場所で、同じ人を撮る。

 
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 盛岡バスセンターという建物が、市内にまだあったとき、息子は嫁さんに抱かれていて、まだ自分で立つこともできなかった。


 この建物は1960年くらいにできて、2016年に解体され、2018年の現在そこは広い空き地になってる。その場所を歩いてたら、以前ここで写真を撮ったことを急に思い出して、また嫁さんと息子を撮ろうと思った。もう息子は動かないでじっとしているわけがなくて、さっさと自分の行きたい方へと歩いていく。


 写真はかつてそこにあったことを語るし、今ここにあるものを際立たせてみせる。


 同じ場所で撮られた2枚の写真を並べただけで、時間と空間の違いが見る人間の感覚のなかで溶けて消えていくような不思議な経験をすることができる。写真の本質のひとつはたぶんその中にあるはずで、ずっとああでもないこうでもないと言葉にしようとしても、自分の日本語能力では語ることができそうにない。


 だから、きれいだなとか、いいなとか、それくらいであきらめている。



 生命とか、真理、美、無限、永遠、とにかく、そうゆうどうしようもない言葉でしか言い表せないものを、そんな言葉抜きにして直接的に感じる瞬間が毎日どこにでもあって、どうしようもなく見落としがちだからこうして拾い集めて、少しでもましになりたい。

 人間は皆、あまり賢くない旅行者で、一歩あるくごとに、ついさっき聞いた道順を忘れていって、地図もなしにその瞬間を、きれいだなとか、いいなとかを追いかけていくだけで旅を続けることができそうだと感じているようなものだと思う。


 だから、もうすこし面倒くさがらずに撮るのに付き合ってほしいなー。

 
journaltakamune ito