三澤武彦さんのこと

 

 この写真は、2012年の自分の結婚式のものです。

 当時、自分は結婚式場で写真を撮る会社につとめていて、毎週のように様々な人の結婚式を見てきていたのですが、いざ自分の結婚式をするときにどうしたらいいのか明快な考えを持っていませんでした。

 結婚式場で写真を撮る仕事をしていながらも、式場やホテルへ高いお金を払ってまで挙式披露宴をすることにまったく価値を感じられずにいた自分は、自分のしている仕事の否定をある意味していたのですが、それが当時の正直な気持ちでした。

 ただ、妻の両親が「娘にドレスを着せてあげたい」という希望があって、その機会を自分が奪うことはできませんので、なにか形にしなければという気持ちが、最初の動き出しのきっかけになりました。そうでなければ、本当になにも結婚式らしいものを考えなかったかもしれません。相談した友人には、「相手の親のその希望は絶対にかなえてあげなくちゃいけないよ」と念を押されていて、たしかにそうだよなと思い、それでやっと自分たちの結婚式を考えはじめました。



 そんなとき、名古屋の写真家・三澤武彦さんが書いたブログ「三澤夫婦の結婚式」という記事に出会いました。

「三澤夫婦の結婚式」
https://misawanow.exblog.jp/12160314/





 記事を読んでいて、自分の気持ちに正直でいながらも、結婚式のような場を形にすることができるかもしれないと感じて、その内容をヒントにしながら自分の環境にあてはめて、どうするかを決めていきました。記事のなかには、三澤さんご夫婦が結婚式を組み立てていったプロセスが書かれてあって、それが自分たちの感覚に近いものがあったのだと思います。それが2011年の2月。

 ただ、準備はすんなりとは進まず、それからすぐの2011年3月に東北で大きな地震があって、一旦多くのことがストップしてしまいました。
 自分たちは内陸の盛岡にいましたが、沿岸に住む従兄弟を津波で亡くし、それに続くように祖父が亡くなり、挙式にも呼ぶつもりだった親族とのつらい別れが続きました。親戚のなかでもお葬式がしばらく続くなかで、結婚式の話は半分消えかけていて、自分たちとしても急いですることではないとおもっていました。

 ところが意外にも、まわりの家族や親戚からは、「お葬式ばかり続いていて嫌だから、あなたたちの結婚式をやりなさい」という声が聞こえはじめてきました。最初は自分たちも戸惑いましたが、よく考えてみたら自分たちや周りの塞いだ気持ちを少しでも晴れやかにする格好の機会にもおもえて、お祝いごとで身内が集まれる場を作ろうと、本格的に結婚式の準備をはじめました。


 そうして自分たち夫婦の結婚式には、いくつかの目的ができました。
・今まで自分たちを近くで支えてくれた家族・親戚に感謝を伝えること。
・妻の両親にドレスを着た娘の姿をしっかり見てもらうこと。
・悲しいことが続いた家族・親戚が、楽しく笑って過ごせるお祝いの場をつくること。

 友人や職場の人は呼ばずにできるだけ規模は小さくし、親戚40人くらいで、その規模に見合った市内のホテルの会場を借りました。儀式的な「挙式」はなくてよいなとおもって省略し、家族・親戚に新郎新婦の晴れ姿を見てもらい、みんなで会食をするというシンプルな内容です。料理と飲み物はホテルにお願いしましたが、招待状は手作りで、当日は会費制にしたり、ケーキは近所のお菓子屋さんに頼んだり、ドレスは友人から借りたり、写真は知り合いに撮ってもらったり。義母の友人が作ってくれたブーケが当日朝に届きました。こうしたことを、妻と相談しながら、家族や親戚や友人に助けられながら形にしました。
 当日は、集まってくれたみんなの顔をみて、これまでにないような幸福感と感謝の思いがこみあげて、なにより妻のウェディングドレス姿を目の前で見たことの、言い表しようのない感動が今もこの日を肯定してくれます。

 終わってみれば、「やってよかった」という感情が残りましたし、「なぜ自分は結婚式をするのだろう」ということには、いくつかの答えが出せましたが、「なぜ自分は、式場で結婚式をしたいと思わなかったんだろう」という問いをはじめとして、まだ自分のなかに疑問が残ったままでした。
 そもそも前提にしていた「結婚式」というものが何なのかが、まったく自明ではないことにはっきりと気が付きましたし、結婚式の中で起こる人と人との関係の多様さや、家族というものの常識とされるかたちと実状との微妙な差異や、文化や伝統の成り立ちまで遡って初めて見えてくるはずの本当の意味、そういったものを今までしっかりと見れていなかったのだとも思うようになりました。


 自分の結婚式のあとも、結婚や家族というものについて、もっと知りたいと思いはじめ、三澤さんのまとめた日本の結婚式の歴史に関する考察も、何度も繰り返し読みました。


新・日本の結婚式の歴史
https://www.100nen-shuppan.com/kekkonshikinorekishi

ぼくたちはどこから来たのか? 【日本の結婚写真ウエディングフォトの歴史】
https://misawanow.exblog.jp/21960307/





 さらに、三澤さんは日本の婚礼文化の現状や歴史について考えつづけていくなかで、「もうひとつの結婚式」という撮影を通じて、結婚式の本質を探っています。


もうひとつの結婚式」
https://www.100nen-shuppan.com/



 「もうひとつの結婚式」として撮影された写真をみて、大抵の人は、「なんだ前撮りか」「フォトウェディングのことか」「自宅支度(着付け)の様子を撮影するのか」という反応をするかとおもいます。その通りで、外形的には婚礼業界でいうところの前撮りやフォトウェディング、おもに写真撮影を目的とした場のことです。



 三澤さんは、「この撮影をしている時間がいちばん結婚式らしいと感じました。」と書いています。いま多くの人が当然のように受け入れている日本の結婚式の少なくない部分が表面的・形式的になってしまった現状に対して、それらの撮影は意義深い問いかけになっているとおもいます。

 結婚式がひと昔前までの地域社会や家族間の営みから、サービス産業の一部になって、結婚式場やホテルや神社の業務のなかで、上辺だけのものになってはいないか。あるいは単に流行の消費がなされる場になってはいないか。そこから少し距離をとってみてはどうかということが、「もうひとつの結婚式」で三澤さんが問いかけていることではないでしょうか。
 現状の「結婚式」とされているものとは距離をおいたところで、写真撮影を口実にして自然発生的に生まれる、二人のあいだに起こること、あるいは二人とそれを囲む人たちに起こることを、三澤さんは「もうひとつの結婚式」と再定義している。そのなかに、一般的な「結婚式」とされるものの枠組みにおさまりきらない、人間の営みの大切な部分があらわれてくるのではとおもうのです。

 「なぜ自分は、式場で結婚式をしたいと思わなかったんだろう」ということに、いま答えるとすれば、「自分がしたいとおもえる形が目の前の選択肢に見当たらず、合わないものは要らないと思ったから。」ということになると思います。だから結局、自分で工夫して作ろうと考えた。自分で好きな服・似合う服を着たくて、それがお店にみつからないのなら、自分で作り方を調べてつくってみよう。三澤武彦さんが書いた「三澤夫婦の結婚式」という記事は、自分に似合う服の作り方の型紙になってくれました。


 加えて、「もうひとつの結婚式」を三澤さんがはじめた理由のなかに、下記のことが記されていたことも、自分のなかで点と点がつながったように感じました。

2011にあった東日本大震災の影響が大きかったと思います。

東北生まれの自分はショックでした。

うわべだけの結婚写真がどうにもつらくなって、もっと人のためになることをしたいと思いました。」








 その後も、さまざまの人の結婚式を撮影してきて、「なぜ結婚式をするのだろう」という問いに、地元の東北の人たちがそれぞれの答えを出していくのを見ました。

 そうしていたある日、名古屋の三澤さんから「一緒に撮りにこない?」とメッセージをもらって、「もうひとつの結婚式」の撮影に同行する機会を得ました。三澤さんの発信してきた写真や言葉に触れるうちに、いつしか会って話を聞ききたい、撮影の場を一緒して、この目でどういうことが起こっているのかを確かめたいと思うようになっていたので、声をかけてもらえてすごくうれしく、興奮しました。



 ただ、実際に現場を一緒したときの感覚は、あまり大げさなものではなく、淡々と仕事をする三澤さんの後ろ姿を見て、なんだか魔法が解けた気持ちになりました。目の前の事実をよく見て、仮説をたてて、それが正しいかどうかを検証している、そしておそらく何かを確信しながらも、それを相手に押し付けず、一緒にその場にいて、そこにいる全員と同じものに目を向けている。自分が東北の地で立ち会ってきた、地元の人たちと同じ営みがそこにあって、三澤さんがカメラを向けるものも、そこに生きている「人」でした。

 ひとつだけ違うように思えたのは、その場のみなさんは花火を見るように目の前のものを見ているけれど、三澤さんは、その奥底の目に見えない場所でゆっくりと燃えているものも感じながら、その花火を見ている気がしました。みんなが見たいとおもっている花火の姿をしっかり撮りながら、その前後に垣間みえるかすかな閃きを、拾い集めようとしている。冬の暖炉に燃えている薪の火とか、炭火をみるときの感覚に似たなにか。地の底にながれる水のようにゆっくりと持続するものが、その場にいる人たちの営みのなかにあると感じました。


 日本の婚礼文化は、変化していきます。表面的な流行は数年で変わり、当たり前の文化とされているものでも、10年・20年後には消えているものがあるかもしれません。そのなかで、本質を見失いたくないとみんな思っている。

「なぜ自分は結婚式をするのだろう」と問うことは、「結婚式とはなにか」という問いにつながり、それはもしかしたら飛躍しすぎかもしれませんが、「人間とはなにか」に答えようとする営みに結びついていくのではないかとおもいます。

 現状を単に否定するのでも、悲観するのでもなく、別の選択肢を作り、問いを深めていく三澤さんと、出す答えはちがくても、その問いを共有していきたいです。

takamune ito