Lost in Translation

 
 

 日本を舞台に撮影されたソフィア・コッポラの映画『ロスト・イン・トランスレーション』が好きで、何度も見た。

 それと同じくらい好きな、Samm Blake というオーストラリアのフォトグラファーが撮影した日本の結婚式の写真。

Nogi Shrine Wedding in Akasaka,Tokyo, Japan

http://sammblakeblog.com/travel/takako-steve-tokyo-japan

(たしか、2012年の12月、東京赤坂の乃木神社)

 2013年頃はじめてこの写真を見たとき、いままで見た日本のどのフォトグラファーよりも日本の結婚式の本質を捉えているように感じて、ショックを受けた。

 ドキュメンタリー寄りの撮り方。2013年当時の日本でも、特にめずらしくないし、その分野で優れた撮影をする個人やチームが日本にもいたとおもう。

ただ、そのなかでも、なにかが違う。

 どこが違うんだろうと、まわりの人にこの写真をみた感想をきくと「介添や掃除の人などスタッフまで写すところは、日本人にはあまりない感覚だね」と言った人がいた。

確かにそうだ。

介添や集合写真業者まで、邪魔だとか必要ないという判断をしないで写している。反面、新郎新婦の両親の表情などを狙った写真のようなものはない。ほとんど親族関係が描かれていないので、どの人物が誰の親や兄弟なのかは、親族集合写真業者がならべている人の位置関係や参列の順番からしか判別できない。「これは結婚式の写真だ。だから、この場面を記録しなければならない。それには、こういった理由があるから。」というような、意味を追った撮影はされていないのかもしれないし、日本の婚礼文化への前提知識が少ない故にそうであったのかもしれないし、あるいはそこに重心が置かれていないのかもしれない。
 それが良いか悪いかという話ではなく、ここで大切なのは、撮影に際して、前提知識や経験、意図が邪魔して見落としてしまうたくさんの細部に、目が行き届いているということだ。そのとき居合わせた目の前の世界に対する感動と愛情が、生々しくあらわれている。いたるところに、「結婚式の写真に必要ない」と日本の常識では判断され、引き算されてしまいそうなその日の細部が、ほとんど詩的といえる余白を含んで写されている。

Samm blakeの写真を文字に変換すると、以下のようになるかもしれない。


結婚式、それは雨の街の通り。

結婚式、それは自動販売機の光。

結婚式、それは寺院の煙。

結婚式、それは今では意味を知るもののない前時代の装飾。

結婚式、それは乱立した都市部のホテルの一室。

結婚式、それは公衆電話機。

結婚式、それはうなじへのくちづけ。

結婚式、それは紙パックのフルーツジュース。

結婚式、それは書き記された宣誓。

結婚式、それは腹にまかれたタオル。

結婚式、それは日本髪のかつら。

結婚式、それは手に持つスマートフォン。

結婚式、それは白無垢。

結婚式、それは鏡に映る自分。

結婚式、それはエレベーターのなかで待つ時間。

結婚式、それは赤い毛氈。

結婚式、それはふたり並んで立つこと。

結婚式、それは儀式と音楽。

結婚式、それは行進。

結婚式、それは集合写真。

結婚式、それは再会。

結婚式、それは拍手。

結婚式、それは夜景。


これらの写真は、意味や論理ではなくて、詩なんだろう。正しさを必要とせず、美ですべての意思決定をしているような自由さ。


 Samm Blakeのリンク先のテキストに、彼女の来歴がすこし書かれている。12歳のときに日本人の家庭(ホストファミリー)のなかで生活した経験があり、そのときのホストシスターと10代の頃ずっと文通を続けていたとも記されている。

 そして、映画『ロスト・イン・トランスレーション』に対しての、「多くのレベルで私に語りかけてくるものがある」「作品が持つ静けさと微妙なニュアンスに共感する」といったコメントもある。

 だからこの写真は、海外からきた人間が日本の神前式を体験した単なる記録というより、もう少し深いレベルのものだとおもう。日本という場所や撮影対象となる人に対して、表面的でない感情の結びつきがある。

 このSamm Blakeの写真をみたときと近い感覚を、日本のフォトグラファーの、たとえば桑原雷太さんの撮るウェディングの写真にも感じる。

桑原雷太さん

https://www.instagram.com/raitakuwahara/

雷太さんが、婚礼会場で働きまわるスタッフも撮ることをふつうにしていると聞いたときも、Samm Blakeと近しいものを感じた。

https://www.instagram.com/p/Cao_pbOlsBl/

「そうか、じゃあ明日からスタッフも撮ろう」とか、「いや、いつも撮っているよ」とか、そういうことではなくて、そうさせている根底にあるもの、それがどういうものなのかに、自分は惹かれている。


映画『ロスト・イン・トランスレーション』。
Samm Blakeの日本の結婚式の写真。
桑原雷太さんの撮る写真。

それらのなかに通底しているもの。

 その日居合わせたまわりの世界に対する感動と愛情が、生々しくあらわれている写真。それを、常識にとらわれずに自由に撮るために必要なことは、いったいなんだろうか。

 この問題設定でいいのかもよくわからない。なにが問われているのかに、まだ至ることができない。

takamune ito