イトウタカムネ写真事務所のつくりかた

 
 

※うまくできた料理の作り方をメモしておきたい、というくらいの軽い気持ちで書きはじめたら、けっこう長くなったインスタにそぐわない長文を、ここに転載。

この記事は、岩手県盛岡市で、主に家族写真や結婚写真を撮影している「イトウタカムネ写真事務所」が2019年から2025年現在まで活動してきた経緯をまとめています。


●事務所開設以前

 今の自宅兼事務所で活動をスタートするまえは、8年間撮影会社にいて、岩手県内の結婚式場でウェディングのフォトグラファーをしていました。

 結婚式の写真を撮り始めた当初は、1~2年で辞めるだろうと考えていたのですが、思いのほか結婚式の仕事に惹き込まれていき、毎週毎週いろいろな人たちの結婚の場に立ち会うことに喜びを見出していました。
 ただ、次第に楽しいことだけではなく、疑問に思うことも増えてきて、体調を崩したことも重なって、その仕事を離れることにしました。


 勤めていた会社を辞めて、ぼーっとしているわけにもいかず、何かしなければと考えているうちに、知人の紹介で市内のシェアオフィスに居場所を得て、そこで管理人の仕事をさせてもらうことになりました。

 管理人業務を請け負いながら、ほかに仕事もないので、自分で写真の仕事を作り出すために、Webサイトをコツコツつくりました。まだ実体のない「イトウタカムネ写真事務所」が、オンライン上ではじまりました。

 

 シェアオフィスにはデザイナーやコピーライター、不動産業など多様な人たちがいて、そこから人とのつながりができました。この場所でのつながりがあったおかげで、地域での取材・広告撮影の仕事に少しずつ関わりはじめました。

 そして、コツコツと自分のWebサイトをつくるかたわら、独立したらお話しを聞きにいきたいなと思うフォトグラファーが何人かいて、その人たちに一人ずつ会いにいきました。

1人目は、名古屋の三澤武彦さん。
2人目は、佐賀の笠原徹さん。
3人目は、東京の鈴木心さん。

ほかにも何人か気になる人がいましたが、この3人には絶対に会いにいくつもりで、コンタクトを取り始めました。

 家族写真や結婚写真などを通して、人と関わり、この仕事を続けていきたい。自分が形にしたいもののヒントを、この人たちの実践していることに感じていましたが、それが何なのか当時はっきりとは自覚していなかったとおもいます。今なら、多少言葉にできる部分も出てきました。


①三澤武彦さん

長年にわたり結婚式撮影を続けている、結婚写真の先駆者。

人の営みに寄り添うような撮影スタイルを実践し、とくに「考えること」を重視した表現に注目していました。

 三澤武彦さんへは、ご自宅の事務所へ寝袋持参で押しかけてしまいましたが、本当に幸運にも受け入れてもらえました。いま冷静に考えると、なんてことをしていたんだと冷や汗ものですが、当時は必死でした。三澤さんの「自宅で花嫁のすすめ」という著書についてや、講演や展示・ブログなどで発信のあった「日本の結婚式の歴史」について、夜遅くまで話してくださいました。とくに「もうひとつの結婚式」という三澤さんが実践していた撮影の話をきいたときは、感動で震えました。

その後、三澤さんの「もうひとつの結婚式」撮影に同行する機会もいただき、目の前で撮影する三澤さんの姿をみせてもらって、魔法が解けた感触を得ました。ブログやSNSの発信でしか見ていなかった三澤さんの写真が、地元で見てきた結婚式のなかに自分が感じてきた何かに、しっかりと地続きであることが実感できたのだとおもいます。

 

②笠原徹さん

2015年に古民家を改装した写真館「ハレノヒ」を開設し、個人・家族撮影だけでなく、広告・取材・ファッション撮影も幅広く手掛け、セミナー講師、書籍やメディア紹介も多数。「小さな写真館にできること」を探求し、地方発で文化や経営ノウハウを共有・発信している点や、地域に根ざした活動設計が先進的で注目していました。

 会社に勤めていた頃に、はじめて何かの本で笠原さんの記事を読んで、地方でもこんなおもしろいことができるんだという実例と、その根っこにあるロジックに感動し、会社の仲間へ記事をコピーして配っていたことがあります。結局は会社のなかでがんばるのではなく、独立して自分でやっていく道を選びましたが、そのとき読んだ記事に書かれたいくつかのことを実行することが、本当に自分のスタジオをスタートさせるガイドになりました。

 笠原徹さんへは、たまたま岩手にいらしたタイミングで会ってお話する機会を得ました。笠原さんの著書「地方でクリエイティブな仕事をする」を出す直前のときで、その内容のある部分をランチの席でさらっとお話してくれて、考えの美しさに感動してしまいました。「フォトスタジオが地域の生態系の一部になりうる」という発想をあざやかに言語化していて、地域と写真事業を生きたかたちで結びつけるビジョンにあこがれました。

 その後、東京で「小さな写真館のつくりかた」というセミナーをするということで、そこに自分も誘ってもらいました。全国の実践者の報告を聞いたり、これからフォトスタジオをはじめようとしている人たちがどんな課題意識をもっているのかに触れました。

また、そこで笠原さんに「イトウさんはスタジオを大きくしていくつもりですか?」という趣旨のことを聞かれたとき、自分は1人でやることしか考えていないことに気が付きました。小さくはじめることは自分のような個人事業者には妥当なものですが、そのまま無策だと単に内省的で停滞した活動になってしまうだろうと予想がつきますので、スタジオを大きくしないことのなかにも、戦略が必要だと考えはじめました。


③鈴木心さん

鈴木心さんは広告写真業界で実績のあるフォトグラファーですが、それだけでは収まらないさまざまな活動をしています。なかでも、写真の民主化を掲げて「楽しく、手軽に、信頼できるクオリティの写真体験」を地方にもひろげる出張写真館・撮影ワークショップ、YouTubeなどのSNS、書籍出版の活動で知られています。

鈴木心さんには、東京のスタジオに会いにいき、その後地元の盛岡でワークショップを1回、出張写真館を1回開催してもらいました。準備から当日のサポートまでを一緒するなかで、この人から多大な影響を受けました。

その先見性、批判的・論理的思考力、それを端的に言葉にして伝える力。アイディアを即断で実装していく力。新技術・表現手法を次々に取り込み、常になにかを試している姿を間近にみました。(いま振り返ってみても、現在自分がつかっている撮影機材は心さんの影響から選んだものが多くを占めています。必要最小限の機材で最大限の成果を得るスタイルを今も重視しています。)

ただ当初の自分は、心さんが形にしていた「鈴木心写真館」を単純に模倣しようとしていただけで、それ以上の発想はもっていませんでした。

その後も技術的な研鑽を少しずつ積み重ねながらも、どうやら自分はスタジオ撮影自体をやりたいわけではないという、奥底にある声に気がつくことになりました。自宅兼事務所スタジオとしてスタートしたものの、いつしか、ここをスタジオと呼びたくない自分がいて、その反対に「イトウさんち」と呼ばれることに、自分の感覚がフィットしていることを発見しました。

自分が形にしたいものは、別のところにあるのがうっすらと見えはじめました。


事務所スタート

「イトウタカムネ写真事務所」は、これまでは自分の頭の中にしか存在しませんでした。どうやって始めたらいいのかわからないまま、2019年「盛岡町家」とよばれる明治期の職住兼用古民家にめぐりあって、最初はフォトスタジオをはじめるつもりでいました。

でも、佐賀のハレノヒ・笠原徹さんのようにスタッフを雇ってスケールを大きくしていくつもりはなく、東京の鈴木心さんの「写真館」スタイルを地元にローカライズしていくのも、自分には合っていない。ここをスタジオとか写真館と呼びたくない自分がいました。

なぜ自分は、自宅兼事務所にしたかったのか。

ヒントは、三澤武彦さんの仕事と生活のなかにあると感じました。
写真を撮ることも、生活することも、ひとつながりであるようなことをしたい。
完璧に整えられた空間ではなく、不完全なままの生活の延長のなかで、答えを持っていないわたしとあなたが、一緒に問い続けることができる場所。

「自宅と事務所、生活と撮影をつなげること」

そもそも写真事務所をはじめるときに、自分はどうしても、そこを自宅も兼ねた場所にしたいとおもいました。

家賃を圧縮するためでもあるのですが、一番大きな理由は、出張撮影などでお客さんの自宅に呼ばれて生活の内側を見せてもらうことが多くなるにつれ、それに対してこちらも同じように開いていたいと感じていたからです。

いろいろな人の家族写真や結婚写真を撮影していますが、そのなかでも、相手の生活する場所に招かれてする撮影が、特に好きです。

その人たちが生活する場所に行って、その人たちが大切にしているもの、美しさや価値を感じ、愛しているものをこの眼でみたい。 私的な空間のなかに招かれたい。そこで話を聞いていたい。 振る舞いを見ていたい。

相手のいつもの、ありのままの空間に、心理的にも物理的にも招いてもらえるように、まずこちらが先に開いていようという態度を、自宅(兼写真事務所)を開くことで示したい。うまく機能するのか正直なところわからなかったのですが、これを「実験」と位置づけて、まず自分がオープンでいること、相手より先に開いていることが、イトウタカムネ写真事務所の核になるはず、そうおもってスタートしました。


 

暮らしに根ざした結婚写真の再定義

2019年に実店舗の写真事務所をオープンしましたが、その後にコロナ禍があり、結婚式関係の仕事はすっかりストップしていました。

その期間は、ひたすらスタジオで商品撮影をしてライティング技術を磨いたり、地元のメディア取材の撮影をしていましたが、いくらか結婚式の撮影もできるようになってきた時期に、あるフォトウェディング依頼のお客さんから、「イトウさんちで支度はできますか?」という問い合わせを受けました。

スタジオとして撮影に使ってもらう場所ではなく、ヘアメイクと着付けで一緒にすごす拠点の空間として、事務所をつかうことになりました。準備を事務所でして、その後に盛岡市内へロケ撮影に出るというスタイルが、なにげなくはじまりました。

自分としては、事務所をはじめたころにはまったく想定していない形でしたが、おもったよりも自分の感覚にフィットしているのを感じました。少しずつ事務所を「滞在していてここちよい場所」にかえはじめていき、この空間をお客さんと共有することに喜びを感じるようになっていきました。それは「生活を共有する」という感覚なのだと、今ではおもっています。

 その後、地元のフリーランスのウェディングプランナーさんとの協働もはじまりました。旧石井県令邸、日詰平井邸という岩手県内の民間で運営されている建物での撮影も増え、衣装屋さん、ヘアメイクさん、花屋さん、レストラン、個人店、さまざまな地元の方たちと関わりながらかたちにしていくウェディングの仕事が、プランナーさんを起点にできはじめました。ウェディングの仕事を通じて、その土地の生態系のなかに、イトウタカムネ写真事務所が組み込まれていきました。盛岡のまちなかという具体的な都市空間をロケーションに選ぶことで、個人の人生と地域社会とが重なって表現される写真がうまれました。

気がつくと、盛岡だけでなく近県や首都圏のお客さんからも声がかかるようになっていました。

 神社やチャペル、専門式場ではなく、盛岡の生活圏内・まちなかで撮ることで、「結婚」を特別な日ではなく日常の延長にある人生の節目として捉える。地方都市での結婚写真の文脈として、地に足のついた選択肢だとおもいます。

自宅兼写真事務所が、準備の場として機能している点は、単なる撮影拠点ではなく「生活と撮影をつなぐ場」としての役割も果たします。お客さんにとって、来ていきなり撮影ではなく、準備段階から時間と空間をともにするという流れがあることで、心理的にも落ち着いて、共同で撮影に臨めるようになる。濃度の高い接点をこの場所でつくることができます。

結婚写真の領域で、生活と撮影とがシームレスにつながりはじめた感触を得て、自分のしたかったことのひとつが、思いがけない方向からかたちになりはじめました。


 

●「写真館」と呼ばれた空間への問い直し

ある日、東京のウェディング映像制作会社OUNCEの代表 ・飯塚大志さんが事務所に遊びにきてくれました。

そのとき飯塚さんはいくつかのフォトスタジオをリサーチしていて、イトウタカムネ写真事務所も見学しにきてくれました。

「東京を離れて地方で新規事業を立ち上げる」

 https://note.com/ounce/n/n88b937fd46f6 

 

この記事のなかの、写真館の4類型(第1~第4世代型)という考え方が、今みても現実をしっかりとらえているとおもいます。 

一部引用すると、

・第1世代型:フィルム時代から続く昔ながらのタイプ。町の写真館。

・第2世代型:資本力が大きく、全国展開している大手チェーン店タイプ。

・第3世代型:空間演出に対して大きく投資して世界観を作りこんだタイプ

・第4世代型:第2・第3とは真逆で、本質的な写真の意義に立ち返り、写真そのものの品質を価値として追求するタイプ。

イトウは、第4世代型のタイプとして

●観光地・式場・スタジオだけではなく、生活圏そのものを舞台にする   

●撮影 = 共創・対話のプロセス。被写体とのフラットな関係性を構築する体験設計をする

ということを意識しています。

生活空間(自宅やまちなか)を撮影場所とすることで、空間自体が語り部となる写真づくりをする。

たとえスタジオ撮影の場合も、ライティングをセットして背景紙の前で撮る写真のほかにも、「生活圏そのものを舞台に」という考えのもと、事務所内での舞台裏記録のようなカットを積極的に撮影し、「メイキング写真」と「スタジオ写真」の両方を納品することで、生活と撮影(日常と非日常)がシームレスにつながっている感覚をお客さんに届けようとしています。

「フォトスタジオ」として見つけてもらい、依頼してもらっても、それ以上の記憶と写真を持ち帰ってもらう、スタジオ撮影のなかに日常と非日常が混在する二重の撮影体験を設計しています。


「真っ白なスタジオ」の次に来る、空間と関係性が一体化した写真のあり方。

空間が被写体の一部として機能する、生活や土地の記憶を帯びたものとしてある場。今のトレンドでは、日本中に「真っ白いマンションの一室や一軒家を改装したフォトスタジオ」が増えています。 個人出張撮影フォトグラファーが、スタジオを持つ流れが一般化してきている。 その先にあるのは、個々の差別化、オリジナリティの模索ですが、その方向性はどのようなものがあるのでしょうか。

おそらく、その先には「その人ならではの撮影空間/体験」の模索が必要になります。そこに可能性があると感じています。

そもそも、スマートフォンの高性能カメラを誰もが自分の手のひらに持つ時代に、「写真館」という場が過去と同じ姿のままであるはずがなく、それでも、何かがこの言葉を生きながらえさせています。それを見極めたいとおもいます。

同様に、自分はカメラマンとかフォトグラファーと名乗ったり、写真屋さんとか写真家さんと呼んでもらったりしていますが、本当のところ自分がなにをしているのか、はっきりわかっていません。

できるなら、自分のなかの写真家像の再定義をしたいなとおもっています。


写真家 = 共作者・関係構築者

写真家=文化編集者・語り部

写真家=まなざしの共有者


撮るだけでなく、聞き、整理し、かたちにする。

単に技術者や職人ではなく、見る行為の共有者として、生活の文脈を読み解く存在として関わる。

実際に、写真を仕事としてつづけるためには、写真だけをやっているわけにはいきません。編集、デザイン、ライティング、SNS運用、経営、営業、マーケティング、市場リサーチ、税務、法務。家族がいるなら、家事や、名もなき家事……ある程度なんでもやらないと回りません。


こういった複合的な視点からうまれるものが、この仕事の個性になると予想しています。撮影技術・映えより、考え方の開示、思想性、対話性・関係性を重視する姿勢をとり、単に視覚的インパクトだけの「消費される写真」からは、距離を取りたいなとおもっています。


 

●「玄関ポートレート」

自宅出張撮影の入口として、「玄関ポートレート」という撮影も生まれました。それは誰もがもっているそれぞれの大切な空間の入口に立ち、いまを残すことができる、簡素ですが、とても豊かな写真のかたちです。

自宅出張撮影など、その人の生活空間で撮るポートレート(家族写真、夫婦写真、ウェディングフォト、個人写真)を、自分はもっと撮っていきたいです。

でも現時点で一般的には、七五三や結婚式で「写真を撮ろう」とはなるけど、普段生活している場所で、自分たちの写真を撮ることを、意識的に選択することは少ないのかもしれません。それをもっと提案していくには、どうしたらよいのかを考えています。

まずは、そのような撮影があるということを認知してもらうこと。

日常的な風景のなかで、自分たちを写真に残すことに価値や意味を潜在的に感じてくれそうな人に、発見してもらえる・選んでもらえるようにしたい。そのような写真を、目に見えるところに提示しておきたい。

ただ、そこに課題がひとつ。

たとえばあるお客さんに自宅出張撮影で喜んでもらうことができても、その写真をイトウのWebサイトやインスタグラムに掲載することをお願いしてみると、躊躇するというケースが多くありました。多くの人は、自分の私的な空間での写真を不特定多数の目のまえに置くことに抵抗があります。

自宅や自室などの私的な空間で撮った写真の価値を確信しながらも、それを潜在的なお客さんに伝えることができないままでした。

どうしたら、そのハードルを越えれるのだろう。

ヒントにしたのは、

オーストラリアのフォトグラファーRowena Meadowsの「yardtrait」という撮影

と、

アメリカ・メンフィスのフォトグラファーJamie Harmonの「Quarantine Portraits」

Rowena Meadowsの「yardtrait」は、家の“庭”で家族や個人の自然な姿を短時間で撮影した、特別な準備や演出を排したドキュメンタリー的なポートレートです。

Jamie Harmonの「Quarantine Portraits」は、COVID-19パンデミック初期の2020年春に展開したドキュメンタリー・ポートレートプロジェクトで、撮影は窓辺や玄関先、ポーチ、庭など「家の境界」で行われ、屋内の生活感や個性も背景として写し込まれていました。

これを日本の「玄関」、つまり内と外の境目で展開する撮影を、

「玄関ポートレート」とネーミングしてスタートさせました。

今この瞬間のリアリティー、準備いらずの気軽さを打ち出しながら、公私の境界にある「玄関」という日本独自の空間文化を活かし、共感・話題性を獲得できたらと考えています。

本当に撮りたいのは、もちろんその先のもっと私的な空間・生活の核心での撮影です。


●「いつまでも片付かない、うちの写真アルバム」展

たくさんの家族写真、結婚写真を撮っていて、自分の家族の写真も撮っている。その自分が、撮っている写真がこの先どうなっていくのかを本当の意味で考えたことがないことに気がついて、そのことを問うための写真展示をすることにしました。

「いつまでも片付かない、うちの写真アルバム」展と題して、盛岡市内のギャラリーで5日間、イトウ家の家族写真アルバムを「未完のまま」展示しました。目的は、家族写真の存在意義を考えること。
自分の家の中に積み重ねられた写真の束や整理途中のアルバムを、生活のなかにある状態そのままに展示空間に表現しました。「作品」でも「完成された記録」でもなく、暮らしの途中でうまれた写真のありようそのものを、生きたまま差し出す試みです。

家族写真を整理しようと思っても、しっくりくる形にできない。

大掃除や引っ越し、結婚式、家族の死や誕生のタイミングで見返すが、整理は進まない。

これは個人の問題ではなく、普遍的なものかもしれない。

「なぜ写真アルバムは完成しないのか?→ 人が生きている限り、記録は増え続けるから」

「アルバムが完成するのは、記録が止まり、思い出す人がいなくなったとき」

という結論にいったんは至りながらも、空間を共有した人たちからの多様なフォードバックを得て、展示を構想したときとは別の地点から、撮った写真の行く先を考えはじめています。


 

「イトウタカムネ写真事務所」という空間と営みは、生活と写真とを静かにつなぐ場として、実体を得てきました。それは数年間かけて具体化されてきた、ひとつの問いのようなものです。
 「写真は、どうすれば人の暮らしに根づくのか?」


 

長い自己紹介のようになってしまいました。

岩手県盛岡市を拠点にフォトグラファーをしています、イトウタカムネといいます。

「イトウタカムネ写真事務所」という名前で、自宅兼事務所スタジオをかまえて、家族写真・結婚写真を主軸に活動しています。
 「スタジオ」といいましたが、スタートさせた当初と違って、いまはあまり自分の事務所を「スタジオ」と呼んでいません。どちらかというと凝った演出空間を使わず、自宅やまちなかといった生活空間そのものを舞台に、その人の暮らしや関係性を編み込みながら、時間の厚みを記録していく撮影が多くを占めています。

家族写真や結婚写真などを通して、「フォトスタジオ」や「写真館」という枠ではとらえきれなくなっている現在の写真と人間の生活とのかかわりを考え、暮らしのなかで写真が生まれる場、撮影者と被写体の境界が消えて視点が交差するような場をどうやってつくれるか。

美しく撮るだけでなく、誰と、どのように語り合い、共に過ごし、記録をのこすか。
 そのすべてを「写真」と捉えています。

takamune ito