生活写真|玄関ポートレートができるまで
七五三、結婚式、入学式、なにかの記念日。
人生の節目には、写真を撮る文化があります。
自分は、そういう場に呼ばれるカメラマンです。
でも、人生の大半は、節目ではありません。
毎日暮らしている家で、家族の写真を撮ってもらう文化は、ほとんどありません。
自分自身は、家で撮る写真が好きです。
生活の匂いがあり、
その人らしい空気があり、
時間の積み重ねが写るから。
上の写真は、2026年5月までいた、イトウの自宅兼事務所での、自分たちの家族写真。毎年お正月に撮っていたけど、もうこの場所で撮ることはないでしょう。
もちろん、仕事としては七五三や結婚式の依頼が多くなります。
でも、自宅で撮った写真を見返すたびに思います、
「これこそ、あとから大切になる写真だろうなあ」と。
暮らしていた部屋。
玄関。
台所。
居間。
庭。
窓。
何気なく過ごした場所は、
引っ越しをしたり、
家族との生活に変化が起きたりすると、
二度と戻らない景色になります。
だから、もっと家で写真を撮ることがふつうになったらいいのになあと、思うようになりました。
どうすれば、この価値をまだ知らない人に伝えられるのか。
自分で考え続けていても、なかなか形にすることができなくて、デザイナーのスズキケンイチさんに相談をはじめました。
ふたりで話していく中で、この撮影には
・名前
・作例
・言葉
この三つが必要だと感じました。
当時は「家で撮るポートレート」と呼んだりしていましたが、もっと伝わる方法があるはずだと。
調べていくと、同じようなことを考えている写真家にも出会いました。
オーストラリアの写真家、Rowena Meadowsの「yardtrait」というプロジェクト。
「yard」と「portrait」を合わせた造語です。
庭先で撮るポートレート。
でも魅力は場所にあるわけではありません。
彼女が残そうとしているのは、
整えられた家族写真ではなく、
その家族らしさ。
広告には、
「今この瞬間の、ありのままの家族を記録したくないなら、私には依頼しないでください。」
という一文があります。
写真を撮る前に、
何を大切にしているのかを伝えている。
その姿勢に強く共感しました。
もう一人、印象に残ったのが、Jamie Harmonによる「Memphis Quarantine」です。
コロナ禍の2020年、アメリカのメンフィス。
窓越しや玄関先、庭先で、800世帯以上を撮影したプロジェクトです。
パンデミックという特別な状況の記録でありながら、このシリーズを見ていて、気づいたことがありました。
玄関は、家と社会が出会う場所でもあるということです。
完全なプライベートでもなく、
公共空間でもない。
その「あわい」に立つ人は、
どこか自然で、その人らしく見えました。
そこから、「玄関ポートレート」という名前にたどりつきました。
最初からこの名前だったわけではありません。
いろいろ考えて、
撮って、
試して。
残ったのが、「玄関ポートレート」でした。
うん、これでいいか、という感じです。
「玄関で写真を撮るサービス」をつくりたかったわけではありません。
実家や自宅、自分たちのたいせつな場所で写真を撮ることの価値を、もっと広く知ってほしい。
ただ、それにはひとつ壁がありました。
家で撮った写真は、
世の中に出てきにくいのです。
家の中には、生活が写ります。
洗濯ものや、子どもの散らかった部屋、台所、寝室。
だから、「写真は気に入っているけれど、Webサイトには載せないでください」という方も少なくありません。
とても自然なことです。
ほかの人に見せるための写真ではないのです。
そういう写真を目にする機会は、とても少ない。
どうしたら、この撮影の魅力を伝えられるだろう。
試行錯誤するなかで気づいたのが、玄関でした。
玄関は家の入口ですが、家の中ほどプライベートではありません。
それでいて、その家らしさはちゃんと残っています。
実際に撮ってみると、「玄関なら掲載しても大丈夫ですよ」と言ってくださる方が増えていきました。
玄関を撮りたいわけではありません。
撮りたいのは、その場所で積み重ねてきた時間です。
家には、その人たちだけの景色があります。
毎日見ているから、あまり気づかない。
でも、いつか失われてしまう景色です。
家で写真を撮ることが、
もっと当たり前になりますように。
その入り口として、
「玄関ポートレート」
という名前で、この活動を続けています。