玄関ポートレートができるまで
「家で撮る写真」を、
もっと当たり前にしたいなあ。
七五三。
結婚式。
入学式。
人生の節目には、写真を撮る文化があります。
自分は、そういう場に呼ばれるカメラマンです。
でも、毎日暮らしている家で、
家族の写真をカメラマンに撮りにきてもらう文化は、
ほとんどありません。
自分自身は、家で撮る写真が好きです。
生活の匂いがあり、
その人らしい空気があり、
時間の積み重ねが写るから。
もちろん、仕事としては七五三や結婚式の依頼が多くなります。
でも、自宅で撮った写真を見返すたびに思いました。
「これこそ、あとから大切になる写真だろうな。」と感じます。
暮らしていた部屋。
玄関。
台所。
居間。
庭。
窓。
何気なく過ごした場所は、
引っ越しをしたり、
家族との生活に変化が起きたりすると、
二度と戻らない景色になります。
だから私は、もっと家で写真を撮ることを提案したいと思うようになりました。
まず考えたのは、ネーミング。
デザイナーのスズキケンイチさんに相談をはじめました。
どうすれば、この価値をまだ知らない人に伝えられるのか。
そのためには、
名前
ビジュアル
言葉
この三つが必要だと考えました。
当時は「家で撮るポートレート」と呼んでいましたが、もっと伝わる名前があるはずだと。
世界には、似た考え方を持つ写真家もいました。
調べていく中で出会ったのが、
オーストラリアの写真家、Rowena Meadowsの「yardtrait」というシリーズでした。
「yard」と「portrait」を合わせた造語です。
庭先で撮るポートレート。
でも魅力は場所ではありません。
彼女が残そうとしているのは、
整えられた家族写真ではなく、
その家族らしさでした。
広告には、
「白い服で揃えたい人は依頼しないでください。」
「子どもを完璧に見せたい人は依頼しないでください。」
そんな言葉が並びます。
最後には、
「今この瞬間の、ありのままの家族を記録したくないなら、私には依頼しないでください。」
という一文があります。
写真を撮る前に、
何を大切にしているのかを伝えている。
その姿勢に強く共感しました。
もう一人、印象に残ったのが、Jamie Harmonによる「Memphis Quarantine」です。
コロナ禍の2020年、アメリカ・メンフィス州。
窓越しや玄関先、庭先で、800世帯以上を撮影したプロジェクトです。
パンデミックという特別な状況の記録でありながら、
私にはもう一つ、大きな発見がありました。
玄関は、家と社会が出会う場所でもあるということです。
完全なプライベートでもなく、
公共空間でもない。
その「あわい」に立つ人は、
どこか自然で、その人らしく見えました。
「玄関ポートレート」という名前にたどり着いた。
最初からこの名前だったわけではありません。
いろいろ考えて、
撮って、
試して。
残ったのが、「玄関ポートレート」でした。
うーん、これでいいか、という感じです。
「玄関で写真を撮るサービス」をつくりたかったわけではありません。
実家や自宅で写真を撮ることの価値を、もっと広く知ってほしい。
ただそれには、ひとつ壁がありました。
参考になる写真が、世の中に出てきにくいのです。
家の中には、生活が写ります。
洗濯ものや、子どもの散らかった部屋、台所、寝室。
だから、「写真は気に入っているけれど、Webサイトには載せないでください」という方も少なくありません。
とても自然なことです。
ほかの人に見せるための写真ではないのです。
価値のあるものなのに、そういう写真を世の中でみる機会が少ない。
では、どうしたらこの写真の魅力を伝えられるだろう。
試行錯誤するなかで気づいたのが、玄関でした。
玄関は家の入口ですが、家の中ほどプライベートではありません。
それでいて、その家らしさはちゃんと残っています。
実際に撮ってみると、「玄関なら掲載しても大丈夫ですよ」と言ってくださる方が増えていきました。
玄関は、暮らしと社会のあいだにある場所なのだと、そのとき実感しました。
夫婦でも。
一人でも。
三世代でも。
ペットと一緒でもいい。
玄関を撮りたいのではありません。
その場所で暮らしてきた時間を撮りたい。
そう思っています。
玄関は、毎日出入りする場所です。
特別なスタジオではありません。
でも、そこで生活してきた時間が、積み重なっている、唯一無二の場所なはずです。
家で写真を撮ることを、
もっと当たり前に。
その入り口として、
「玄関ポートレート」
という遊びを、はじめています。